排出量取引制度は何を変えるのか? – “排出に価格が付く”時代の企業戦略とLCA-

1.排出量取引制度とは何か ― 脱炭素政策の「市場メカニズム」

排出量取引制度(ETS)の基本構造と目的

排出量取引制度(Emissions Trading System:ETS)とは、温室効果ガスの排出総量に上限(キャップ)を設け、その範囲内で排出枠を売買できる仕組みです。企業ごとに割り当てられた排出枠を超えて排出する場合は、不足分を市場から購入する必要があり、逆に排出量を削減できた企業は余剰枠を売却することができます。
この制度の特徴は、排出削減を「規制」ではなく「市場メカニズム」に委ねている点にあります。削減コストの低い企業がより多く削減を行い、その成果が経済的価値として評価されるため、社会全体として効率的な排出削減が可能となります。
またETSは、排出量に価格を付けることで、企業の投資判断や原料選択、製造プロセスの見直しにまで影響を及ぼします。単なる環境対策にとどまらず、企業活動の前提条件を変える政策手法として、世界各国で導入が進んでいます。

なぜ今、排出量取引制度が拡大しているのか?

近年、排出量取引制度が各国で拡大している背景には、気候変動対策をより実効性の高い形で進める必要性があります。パリ協定の下、各国は温室効果ガス削減目標を掲げていますが、補助金や努力義務を中心とした従来の施策だけでは、産業全体の排出量を確実に抑制することが難しくなっています。
こうした中で注目されているのが、排出量に明確な価格を付ける排出量取引制度です。排出すればコストが発生し、削減すれば経済的な価値が生まれるため、企業は短期的な対応にとどまらず、中長期的な設備投資や事業構造の見直しを迫られます。政府にとっても、民間の市場原理を活用しながら削減を促せる点が大きな特徴です。
さらに、排出量取引制度の導入は副次的な効果も生み出しています。排出が「コスト」として可視化されることで、企業は自社の排出削減だけでなく、製品全体の排出構造にも目を向けるようになります。その結果、原料調達から製造、流通までを含めたライフサイクル全体で排出量を把握・管理する必要性が高まり、サプライチェーン単位でのLCA(ライフサイクルアセスメント)の重要性が一層増しています。

世界に広がる排出量取引制度の導入状況

排出量取引制度は、現在では欧州を起点に世界各国へと広がりつつあります。
EUは2005年に世界で初めて本格的な排出量取引制度(EU ETS)を導入し、発電、エネルギー多消費型産業、航空、海運といった主要セクターを対象に制度運用を高度化してきました。
アジアでは、2015年に韓国が国家レベルの排出量取引制度を導入し、産業部門を中心に広範な排出源を対象としています。続いて中国は2021年に全国規模の制度を開始し、当初は電力部門を中心としながら、重工業分野へと対象拡大を進めています。一方、東南アジアでは現時点で本格的な国家ETSを導入している国は限られるものの、インドネシアではカーボン取引市場の整備や制度試行が始まっており、今後の動向が注目されています。
一方、米国では連邦レベルでの制度は導入されていないものの、カリフォルニア州や北東部諸州を中心に州・地域単位で排出量取引制度が運用されています。
このように制度の設計や対象範囲、価格水準には違いがあるものの、排出量に価格を付け、市場を通じて削減を促すという基本的な考え方は共通しています。排出量取引制度は特定の地域にとどまらず、国際的な潮流として定着しつつあるといえます。

2.欧州と日本の排出量取引制度と国内プラスチック産業に与える影響予測

EU ETSの進化と素材産業への影響

EU排出量取引制度(EU ETS)は近年、大きな制度改正が行われ、2030年までの削減目標や対象範囲が強化されています。直近の改正では、ETS対象の排出量を2005年比で62%削減*することが合意され、これを達成するために2024〜2027年は年間3%、2028〜2030年は4.4%という速いペースで排出上限が引き下げられることになりました。
また、これまで無償で割り当てられていた排出枠については、主にCBAM**対象分野において、2034年までに無償割当は段階的に廃止されます。

EU ETSの対象範囲も進化しており、海運(2024〜2026年に段階的導入)が新たに加わっています。こうした制度強化の流れは、鉄鋼やセメントと並んで化学・素材産業にも直接的なコスト・競争環境の変化をもたらしており、原料段階からの排出見直しや省エネ投資が不可欠となっています。

*本削減率はEU全体ではなく、ETS対象排出量に関する目標。

**EUの「炭素国境調整メカニズム(CBAM: Carbon Border Adjustment Mechanism)」が適用される特定の産業分野のことで、「CO₂排出が多い素材産業で、EUが輸入品にも炭素コストを課す対象になっている分野」

日本におけるGX推進法改正と排出量取引制度の導入

日本では、2050年カーボンニュートラルの実現に向け、GX推進法の改正により排出量取引制度(GX-ETS)が制度化されました。特徴的なのは、電力・製造業といった産業分野を限定せず、一定規模以上の排出を行う企業を横断的に対象とする点です。具体的には、直近3年平均でCO₂排出量が概ね10万t以上の事業者が想定され、2026年度から排出量の算定・報告が義務化されます。その後、2027年度以降は排出枠の割当が行われ、割当枠を上回る排出に対しては排出枠の保有義務が段階的に導入される予定です。これにより、日本でも排出量に「価格」が付く仕組みが本格化し、企業は省エネ投資や原料・製品設計の見直しを迫られることになります。なお、化石燃料賦課金も同法に盛り込まれていますが、GX-ETSと併せて排出削減行動を後押しする補完的制度として位置付けられています。

排出量取引制度が国内プラスチック産業に与える影響

排出量取引制度は、制度上は企業の直接排出および購入エネルギー由来の排出(Scope1・2)を対象としています。国内プラスチック産業においても、当面は省エネルギー化や再生可能エネルギーの導入など、自社努力による対応が中心となると考えられます。
一方で、バイオマス材等の採用は現状ではコストアップ要因であり、ブランドオーナーを含む企業の収益性をむしろ悪化させる側面があるのが実情です。そのため、日本において直ちに原材料転換が一気に進むとは考え難い。しかし、排出枠の厳格化や対象企業の拡大が段階的に進む中で、排出削減の余地は次第に限られていきます。その結果、中長期的には原料調達段階を含むScope3排出への対応が、事業戦略上の検討事項として避けて通れなくなる可能性があります。
排出量取引制度は即効性のある変化をもたらす制度ではありませんが、将来を見据えた素材選択やLCAへの備えが、今後の競争力を左右する要素になりつつあります。

日本では時間をかけて進むと考えられるものの、環境配慮型原料への要請が将来的に強まる可能性が高いと考えられます。拙速な転換ではなく、中長期視点で備えとしてバイオマスプラスチックを位置づけることが現実的な対応と言えます。

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